ミステリー怪人物ファイル

予言者や魔術師、超能力者たちなど、歴史の裏側で暗躍した人物たちを読んでいくブログです。すなわち、世界のミステリーを実在した人物から解きほぐしていきます。

松平忠直(まつだいら ただなお)、その名を聞けば、菊池寛の「忠直卿行状記」や海音寺潮五郎の「悪人列伝」などの小説に書かれた恐ろしい暴君というイメージが定着している人物であるが、本当のところはどのような人物であったのだろうか。

2代目福井藩主、松平忠直(1595年~1650年)は徳川家康の孫であり、松平秀康(結城秀康)の子という、名門の家の子として大阪で生まれる。

忠直は、父の秀康が梅毒で亡くなった為、13歳で父の跡を継ぎ、越前国68万石の2代目城主となり、その後2代将軍徳川秀忠の娘、勝姫と結婚した。17歳という若さであった。

忠直は1614年からの大坂冬の陣において真田幸村らを討ち取り、敵方の3千以上の首をとったと言われ、また、夏の陣では「初花の茶入れ」という茶壷を賜っている程の優れた活躍を見せた。



松平忠直


大坂の陣で参加していた諸大名の中でも一番と言っていい程活躍した忠直であったが、この頃より次第に変化が現れる。

忠直は荒淫と酒に溺れ、領内では残忍な行為があったとの噂も立つようになる。また、勝姫とも不和になり、勝姫と実の息子は福井城から出て行ってしまった。

さらに忠直は大名にとって重要な仕事である江戸参勤さえも怠るようになると同時に、残忍な遊びを好むようになり、罪のない人々を痛めつけ、その様子を楽しんで眺めていたという。

これには恐ろしい話が残されており、ある酒宴の席で、妊婦を縄で縛り、「まな板石」と呼ばれた平たい石を台にして、妊婦の腹を杵で打ち、腹から胎児が飛び出る様を見て、忠直と愛人の一国御前(いっこくごぜん)は喜んでいたという。この「まな板石」は実際に福井県三国港に残されている。

しかし、残酷最悪な暴君としての忠直の逸話は数多くあれど、これら暴君説を裏付ける歴史的資料は残っていない。古代中国の暴君像を元に造られた話であるとか、または幕府によるねつ造であったという話もある。

それに、忠直は秀康から跡を受け継いだ鳥羽野(とばの)の開拓事業に尽力し、そこでは「名君」として親しまれていた。元々、鳥羽野(現在の福井県鯖江市)は原生林が生い茂り、うす暗く、人家も少ない所であったのが、忠直の開拓事業により、鳥羽野の南北に通じる北陸街道を整備し、街道沿いには人家が立ち始め、また商工業を営む者も集まり発展していった。このような功績を残しているにもかかわらず、1624年、豊後国(現在の大分県)に配流されることになる。その後の忠直は出家し、名を「一伯」と改め、1650年、56歳で亡くなるまでの28年間はひっそりと静かな暮らしを送っている。

「暴君」としての伝説と、「名君」として領民から慕われた忠直。生前には正当な評価が受けられず、亡くなった後も「暴君」としてのイメージが強いというのは、日本歴史上の人物の中で、最も哀れな人物なのかもしれない。。



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  • グレゴリー・ラスプーチン、彼をモデルとした小説や映画は多いので、その名は広く知られていることだろう。ロシア帝国崩壊の一因を作ったとされる”怪僧”と呼ばれた人物である。

    グレゴリー・ラスプーチン(1871年~1916年)は、シベリアの小さな町の生まれで、子供の頃から特異な力を持っていたという。

    そのエピソードを挙げると、とある農家から馬が盗まれる事件が起こった。住民達が町長であったラスプーチンの父親の元で解決策を話し合っていると、ベッドで寝ていたラスプーチン少年が急に起き上がったかと思うと、いきなり「犯人はこいつだ!」、とその場にいた一人の農夫を指さし叫んだのだ。その後、気になった住民が、少年の指さす農夫の後をつけていくと、その農夫は自分の家の納屋から盗んだと思われる馬を連れ出したのだった。ラスプーチンは泥棒を言い当てたのだ。



    ラスプーチン


    少年の頃より、ラスプーチンは不思議な力で未来を予知したり、不治の病であった人を治療するなど数々の奇跡を起こしていたのだったが、その彼の評判がやがて皇室にも届いた。

    当時、皇太子のアレクセスは血友病を患っていた。その状況に思い悩んでいたアレクサンドラ皇后は、世間で評判のラスプーチンを宮廷に招き入れた。

    そして彼が皇太子の元を訪れて祈りの言葉を捧げると、それまで病床で苦しんでいた皇太子が起き上がり、笑顔を見せたという。

    皇太子の恩人として皇帝夫妻の信頼を勝ちとったラスプーチンは宮廷内で権力を強めていき、ついに政治にまで干渉するようになった。

    彼は宮廷貴族の女性から熱烈な支持を受けていたのだが、その要因として「彼の強い精力によるもの」という噂が流れており、また第一次世界大戦が勃発してからニコライ2世が戦地に出ることが多くなると、アレクサンドラ皇后と相談役のラスプーチンとが愛人関係にあるとの噂も囁かれた。

    皇后の権威を背景に、宮廷内での人事まで口出しするようになったラスプーチンの暗殺計画が貴族たちの間で持ち上がった。首謀者は皇帝と姻戚関係にあったユスポフ公爵と皇帝の甥であるドミトリー大公で、1916年12月、ユスポフ公爵はラスプーチンを晩餐に招待した。料理には青酸カリが盛られており、普通なら即死するはずが、ラスプーチンは変わった様子なく料理をたいらげた。その姿に驚いた公爵は背後から銃弾を2発、心臓を目がけて撃ち込んだ。一度は倒れ込んだラスプーチンであったが、再び起き上がってきたのだ。恐れをなした公爵はさらに銃弾を浴びせて、銀の燭台でめった打ちにし、窓から放り投げて、体をロープできつく縛って真冬のネヴァ川へ投げ込んだのだった。

    驚くことに検視の結果、彼の死因は溺死であった。あれだけの暴行を受けてもまだ、川へ投げ込まれた時には生きていたということになる。しかも、ロープできつく縛られていた遺体からロープはほどかれていた。

    彼は自身が亡くなる前、ニコライ2世に不吉な予言を語っていた。「もし私が農民に殺されたとしたら、その後のロシアは安泰に続きますが、陛下のご一族に殺されたのであれば、陛下とご家族は悲惨な最期を遂げることになるでしょう。」と。事実、皇帝ニコライ2世とその家族に待ち受けていたのは、ロシア革命の中、全員が銃殺されて、ロマノフ王朝は崩壊を迎えるという結末であった。



     

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  • フランス南部、ピレネー山脈の麓にある小さい村ルルドは、年間600万人もの人が訪れる世界有数の聖地である。「ルルドの泉」、場所は詳しく知らないという人でも、その名は聞いたことがあるだろう。世界各地から、日本でもルルドを訪れるツアーが組まれている程である。

    この「ルルドの泉」だが、自然にできたものではない。ある少女がもたらした奇跡の泉である。

    その少女とは、ベルナデット・スビルー(1844年~1879年)。彼女は幼い頃生家は貧しく、病弱な少女であった。後に里子に出され羊飼いとして生計を立てるのだが、日曜日にはカテキズム(公教要理)の勉強をさせてもらえる約束だったが、その約束は守られず、10歳になっても読み書きができなかったという。そのような生い立ちの少女が14歳の時、衝撃的な出来事の当事者になろうとは自身も予想だにしなかっただろう。



    ベルナデット・スビルー


    1858年2月11日、14歳のベルナデットが山へ出かけ薪を拾っていた時、洞窟の中で、白い衣を身にまとい、まばゆい光に包まれ微笑む聖母マリアに出会ったのだ。

    この時、ベルナデットは二人の少女と一緒にいたのだが、聖母マリアの姿を見ることができたのは、ベルナデットだけであった。

    それからも彼女は毎日、聖母マリアに会いに洞窟へ出かけるようになった。

    すぐにその噂が村中に広まると、ベルナデットが洞窟へと出かけて行く時間に合わせ、人々も一目、聖母マリアを見ようと集まるのであったが、彼女以外、誰もその姿を見ることはできなかった。

    そして1858年2月25日、ベルナデットが聖母マリアの導きの元、祈りを捧げ、洞窟内の地面を手で掘っていたところ、突如として水が湧き出たのだ。そして水は泉へと形成、奇跡を起こすルルドの泉の誕生である。

    この泉での初めての奇跡は3月1日に訪れた。指が麻痺した女性が泉に右手を浸すと、指が回復したというのだ。証拠に、この事例はルルドの医務局の名簿に正式に記載されている。この奇跡はあっという間に、村中や近郊の町にまで広がり、奇跡の恩恵にあずかることができた病人が続出したことで、またたく間に国中にも広がり、さらには世界的に知られるようになったのである。

    しかしベルナデットは病気から回復する人々が増え続けるに反比例し、体調を崩していった。大勢の病人が彼女の元へと駆けつけるので、精神的に疲れてしまった。その後22歳で修道院へ入り、そして、彼女の人生は35歳という若さで幕を閉じたのだが、彼女にはまだ奇跡が続いているのだった。なんと、修道院の地下に葬られた彼女の遺体を数十年後に検証したところ、まったく腐敗していなかったという。現在は、パリから2時間のところにあるサン・ジルダール修道院教会にて、ベルナデットはまるで生きているかのように永遠の眠りについている。



    ルルド

    聖地ルルドの泉を訪れる人は今も後を絶たない。
     

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    原作:イマム室長

    画:遠藤しんぢ

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