ミステリー怪人物ファイル

予言者や魔術師、超能力者たちなど、歴史の裏側で暗躍した人物たちを読んでいくブログです。すなわち、世界のミステリーを実在した人物から解きほぐしていきます。

若さを永遠に維持したいという願望は、世の女性であれば誰しもが思うこと。年を重ねると、現実から目をそむけたくなるもの。だからと言って悲観するのではなく、自分にできる最大の努力を重ね、結果納得する。決して日々、「美への追求心」は忘れない。だが、この「若さと美貌を永遠に保ちたい」という願望が恐ろしい残虐行為に繋がった、一人の女がいる。

エリザベート・バートリ(1560年~1614年)はハンガリー屈指の名門・バートリ家の出で、このバートリ家には財産や権威を守る為、長年近親相姦が行われており、その影響で発狂や淫乱といった変質的な性質を持つ人間を生み出していた。エリザベートもその影響を受け、情緒不安定で、感情の起伏がとても激しかった。

このエリザベートはかなりの美貌の持ち主であった。絹のようなすべすべの肌をし、黒い大きな瞳で近寄りがたい位の美しさであった。そんな彼女は15歳の時、ナダスティ家の5歳年上のフェレンツ伯と結婚する。そしてチェイテ城に居を移す。

しかし軍人の夫は戦地へ赴き、留守がちであった為、エリザベートは日々退屈であった。その上、姑は口煩く、仲も良くなかったので、エリザベートにとって姑は鬱陶しい存在であった。



エリザベート


エリザベートはいくつものドレスや宝石をとっかえひっかえ身につけたり、薬草を煮出して得体のしれない美容液を作ったりして暇をつぶしていた。そして次第に、エリザベートの呪われた血筋が姿を現すようになった。

エリザベートは下人から魔術なる儀式を教わったり、何人もの愛人を作って淫靡な行為にふけっていた。夫は彼女の行為を知っても、不在にしがちで後ろめたさから、その行為に目をつむっていた。

そして、ある日、エリザベートが侍女に髪を解かしてもらっている最中、侍女の不注意で近くに置いてあった小瓶を落として割ってしまう。それに怒ったエリザベートは侍女の顔を強く殴り、返り血を浴びてしまった。その血を拭き取ると、その肌の部分だけ艶やかとしていたのだった。これをきっかけに、彼女は若い女の血に異常なまでの執着を見せ始めるのだった。

それから、エリザベートは村の貧しい家の娘を、「礼儀を習わせる為」と偽り、城に集めるのだった。娘達は華やかな城で働けると喜んで奉公に行くのであったが、城の門を一旦くぐると、二度と外に出られないのであった。集められた娘たちは、エリザベートにより次々に拷問され殺されていった。

若い娘の血からつくられた「美容液」で若さと美貌を保とうとするエリザベートの所業にも終止符を打たれることになる。エリザベートが虐殺した少女は600人~700人にのぼると言われているが、あまりにも城での行方不明者が多すぎるのと、村娘だけでなく、貴族の娘にも手を出してしまった事で、エリザベートに捜査の手が及ぶ。

エリザベートと共に罪を犯した取り巻き立ちは死刑になったが、エリザベートは名門の家柄であったので死刑は免れ、城に幽閉されることとなった。

チェイテ城の地下の牢獄は、小さな覗き窓から差し出される一日一度の食事、暗くて冷たい空間、床は排泄物と残飯にまみれ、まさに死を待つだけの場所であった。幽閉されてから3年後、エリザベートは54歳で生涯を閉じた。その姿は、かつての美貌の姿とは程遠く、体はやせ細り、顔には深く皺が刻まれ、まるで老婆のような姿形であったという。。

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  • 松平忠直(まつだいら ただなお)、その名を聞けば、菊池寛の「忠直卿行状記」や海音寺潮五郎の「悪人列伝」などの小説に書かれた恐ろしい暴君というイメージが定着している人物であるが、本当のところはどのような人物であったのだろうか。

    2代目福井藩主、松平忠直(1595年~1650年)は徳川家康の孫であり、松平秀康(結城秀康)の子という、名門の家の子として大阪で生まれる。

    忠直は、父の秀康が梅毒で亡くなった為、13歳で父の跡を継ぎ、越前国68万石の2代目城主となり、その後2代将軍徳川秀忠の娘、勝姫と結婚した。17歳という若さであった。

    忠直は1614年からの大坂冬の陣において真田幸村らを討ち取り、敵方の3千以上の首をとったと言われ、また、夏の陣では「初花の茶入れ」という茶壷を賜っている程の優れた活躍を見せた。



    松平忠直


    大坂の陣で参加していた諸大名の中でも一番と言っていい程活躍した忠直であったが、この頃より次第に変化が現れる。

    忠直は荒淫と酒に溺れ、領内では残忍な行為があったとの噂も立つようになる。また、勝姫とも不和になり、勝姫と実の息子は福井城から出て行ってしまった。

    さらに忠直は大名にとって重要な仕事である江戸参勤さえも怠るようになると同時に、残忍な遊びを好むようになり、罪のない人々を痛めつけ、その様子を楽しんで眺めていたという。

    これには恐ろしい話が残されており、ある酒宴の席で、妊婦を縄で縛り、「まな板石」と呼ばれた平たい石を台にして、妊婦の腹を杵で打ち、腹から胎児が飛び出る様を見て、忠直と愛人の一国御前(いっこくごぜん)は喜んでいたという。この「まな板石」は実際に福井県三国港に残されている。

    しかし、残酷最悪な暴君としての忠直の逸話は数多くあれど、これら暴君説を裏付ける歴史的資料は残っていない。古代中国の暴君像を元に造られた話であるとか、または幕府によるねつ造であったという話もある。

    それに、忠直は秀康から跡を受け継いだ鳥羽野(とばの)の開拓事業に尽力し、そこでは「名君」として親しまれていた。元々、鳥羽野(現在の福井県鯖江市)は原生林が生い茂り、うす暗く、人家も少ない所であったのが、忠直の開拓事業により、鳥羽野の南北に通じる北陸街道を整備し、街道沿いには人家が立ち始め、また商工業を営む者も集まり発展していった。このような功績を残しているにもかかわらず、1624年、豊後国(現在の大分県)に配流されることになる。その後の忠直は出家し、名を「一伯」と改め、1650年、56歳で亡くなるまでの28年間はひっそりと静かな暮らしを送っている。

    「暴君」としての伝説と、「名君」として領民から慕われた忠直。生前には正当な評価が受けられず、亡くなった後も「暴君」としてのイメージが強いというのは、日本歴史上の人物の中で、最も哀れな人物なのかもしれない。。



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  • グレゴリー・ラスプーチン、彼をモデルとした小説や映画は多いので、その名は広く知られていることだろう。ロシア帝国崩壊の一因を作ったとされる”怪僧”と呼ばれた人物である。

    グレゴリー・ラスプーチン(1871年~1916年)は、シベリアの小さな町の生まれで、子供の頃から特異な力を持っていたという。

    そのエピソードを挙げると、とある農家から馬が盗まれる事件が起こった。住民達が町長であったラスプーチンの父親の元で解決策を話し合っていると、ベッドで寝ていたラスプーチン少年が急に起き上がったかと思うと、いきなり「犯人はこいつだ!」、とその場にいた一人の農夫を指さし叫んだのだ。その後、気になった住民が、少年の指さす農夫の後をつけていくと、その農夫は自分の家の納屋から盗んだと思われる馬を連れ出したのだった。ラスプーチンは泥棒を言い当てたのだ。



    ラスプーチン


    少年の頃より、ラスプーチンは不思議な力で未来を予知したり、不治の病であった人を治療するなど数々の奇跡を起こしていたのだったが、その彼の評判がやがて皇室にも届いた。

    当時、皇太子のアレクセスは血友病を患っていた。その状況に思い悩んでいたアレクサンドラ皇后は、世間で評判のラスプーチンを宮廷に招き入れた。

    そして彼が皇太子の元を訪れて祈りの言葉を捧げると、それまで病床で苦しんでいた皇太子が起き上がり、笑顔を見せたという。

    皇太子の恩人として皇帝夫妻の信頼を勝ちとったラスプーチンは宮廷内で権力を強めていき、ついに政治にまで干渉するようになった。

    彼は宮廷貴族の女性から熱烈な支持を受けていたのだが、その要因として「彼の強い精力によるもの」という噂が流れており、また第一次世界大戦が勃発してからニコライ2世が戦地に出ることが多くなると、アレクサンドラ皇后と相談役のラスプーチンとが愛人関係にあるとの噂も囁かれた。

    皇后の権威を背景に、宮廷内での人事まで口出しするようになったラスプーチンの暗殺計画が貴族たちの間で持ち上がった。首謀者は皇帝と姻戚関係にあったユスポフ公爵と皇帝の甥であるドミトリー大公で、1916年12月、ユスポフ公爵はラスプーチンを晩餐に招待した。料理には青酸カリが盛られており、普通なら即死するはずが、ラスプーチンは変わった様子なく料理をたいらげた。その姿に驚いた公爵は背後から銃弾を2発、心臓を目がけて撃ち込んだ。一度は倒れ込んだラスプーチンであったが、再び起き上がってきたのだ。恐れをなした公爵はさらに銃弾を浴びせて、銀の燭台でめった打ちにし、窓から放り投げて、体をロープできつく縛って真冬のネヴァ川へ投げ込んだのだった。

    驚くことに検視の結果、彼の死因は溺死であった。あれだけの暴行を受けてもまだ、川へ投げ込まれた時には生きていたということになる。しかも、ロープできつく縛られていた遺体からロープはほどかれていた。

    彼は自身が亡くなる前、ニコライ2世に不吉な予言を語っていた。「もし私が農民に殺されたとしたら、その後のロシアは安泰に続きますが、陛下のご一族に殺されたのであれば、陛下とご家族は悲惨な最期を遂げることになるでしょう。」と。事実、皇帝ニコライ2世とその家族に待ち受けていたのは、ロシア革命の中、全員が銃殺されて、ロマノフ王朝は崩壊を迎えるという結末であった。



     

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  • 五つ星殺人事件★★★☆★

    原作:イマム室長

    画:遠藤しんぢ

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